A peaceful mind makes better decisions

タイトルはNavalの引用。

nav.al

かれによると不幸せ、不機嫌でいることはextreamly inefficientであり、よい意思決定は落ち着いた精神状態があってこそなされる。これは利己的な観点、現世的利益追求の観点から、ラディカルに精神をなだめていく、感情のスラム街に迷い込むことなく、ハッピーに生きることを勧めているわけだ。

今の世の中は、たとえばどの企業にBetするか、どのクリプトにBetするのか、という意思決定が計り知れなく重要になっていて、これはinfinite levalage の時代だとNavalは認識している。したがって、頭の中がブルーにこんがらまったままで、そういう雑念に認知資源を「ドカ食い」している状態(木下洋介)では良い判断ができない。だからこそ今よりハッピーになろうね、という論理には説得力がある。

しかし、これはどうなんだろう、NavalはAngel listで一財産作って、もうリタイアしているようなものであり、そのような境遇ではストレスとは無縁であり、そういう意味では高みにいる人だ。かれ自身、若い頃は怒りっぽかったと、Joe Roganに話していたような気がする。

ということをなぜ書いているのかというと、進化論的にはハッピー一辺倒であることは不自然なことなのかもしれないと思うんだ。というのも、『幸福の遺伝子』でもさらっと書いてあったんだけど、ハッピーで満ち足りている状態では、「頭の冴えが少し奪われ」るってこともあるだろう。幸せハッピー、これこそがすべてというのはだれもが首肯するところだろうが、もう少し原始的な世界では、身の危険を察知する研ぎ澄まされた感覚というのは必要不可欠ではあっただろう。そしてNavalだって、ダーウィンの著書を直接読むことの重要性を何度も強調していたじゃないか。かれの言葉尻を捉えてとやかく言うつもりは全くなくて、ただ何かを書くとしたら今はこんなことを書いていた。

たとえば、カイジ的シチュエーションというのがあるだろう、そういう状況でよい意思決定をするためには必死に考えなくてはいけない。チャーリー・マンガーなら安楽椅子に座りながらじっくり物事を考えることができる。前者はFIREをしたくてもできない、後者はFIREをしようとすればできるが、でも仕事をすることを選ぶことができるという構図。

ところで、今の時期、ことのほか綺麗な紅葉の世界はどこかといえば、後志の赤井川あたりの静かな農村地帯なのではないか。なんてことを思いながら北海道の四季を味わい尽くしています。「ことのほかうつくしかった」という詩をどっかで読んだ気がするが、何ていう詩だったのだろう。