外の気温に連動する部屋

外の気温に連動する部屋というコンセプトについて考えていた。

数年に一度の寒気が襲来していて、大雪の影響で滋賀彦根の国道8号線で大型トラックが走行できなくなり2キロ以上にわたって後続の車が立ち往生したと報道されていた。

いま、北海道江別市の気温は-8℃。これくらいになるとiPadも氷のごとく「しゃっこく」(冷たいという北海道弁)なり、Macのパームレストも同様である。とうぜん、手もかじかむが、これは血行の影響というか、活動的じゃないときは手がかじんで動かなくなるのでこたつの中に手を入れたりしていなければならないが、あったかいココアかなんかを飲めば改善する。

Macのパームレストが冷たくて難儀するのだが、ということは部屋自体が寒いということになる。暖房はつけていない。こたつだけ。隣の部屋では灯油ストーブを控えめに焚いている、部屋を仕切るふすまを少し開けて隣の温かい空気をすこしもらっている状態。

あんたはこたつだけでやっていけるのかと問われるし、そんなんじゃQOLも低いだろうと指摘する御仁もおられる。これで3回江別で冬を過ごしているが、そこまで大変には思わない。ヒートテックを着てフリースを着て、ユニクロのウルトラライトダウンを着ていてれば問題ないというか、割と快適なんですよね。

朝方は-17℃くらいになることもあるが、別にどうってこともない。特に断熱性能が高い家にいるわけではなく、ここは築50年の陋屋だ。しかし、水道も凍結しないし、意外となんとかなっていることを不思議に思いつつ、なんとかなるんだなという感想。

12月は宿泊キャンペーンがあって実質無料でホテルに泊まれたので随分泊まったが、どこも温かいですね。これが普通か。温かいホテルで作務衣を着て、吹雪の外を眺めていると、現実感覚がなくなるような気がした。便利になれすぎると、世界とのつながりが失われるのかもしれない。

暖房をつけないのは、もちろん暖房費節約のためなんだが、それにより季節を味わい尽くすということができているのではないか。真冬に僕がチェックすることは株価よりも気温だったりする。こんなことは東京にいた頃は考えもしなかった。

あと2ヶ月もすれば暖かくなるし、これくらいどうってこともない。冬に雪が積もるのは、雪かきが大変ではあるが(大雪になると駐車場の除雪に1時間は普通にかかる)、美的観点からみると、雪は美しい。

暖房をつけないことで、大自然に身体を連動させる。美しい雪の季節を味わい尽くす。と考えることにして寒い冬をやり過ごそう。

 

 

Zillow

Zillow(ティッカー: Z)はアメリカの大手不動産売買プラットフォーマーであり、不動産テックに注力し、キャシーウッド率いる、破壊的イノベーションをもたらす企業を集めたETFであるARKKに組み入れられていた。いまARKKの保有銘柄をちらと見たが、入ってなかった。どこかで売ったのだろう。

去年の暮れには、ARKKの株価がどこまで上がるの?ってくらい上がっていた。その強さの理由を知りたくて同社のことを調べていたら、言葉巧みな資料を閲するうちにこれはすごいETFだなあと感銘し、その組入銘柄をいくつか自分のPFに組み込もうとしていた。その中でもZはいい感じに見えた。そのとき、買っていたら今50%の下落に見舞われていたことになる。まあ途中で損切りしていたんだろうけど、今年はひどい下がり方でしたね。

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www.businessinsider.jp

株価の下落は、主にZillow Offerなる、ホームフリッピング事業への進出の失敗だったとこの記事にある。ホームフリッピングというのは、中古住宅を安く買い、短期間で表面をリノベして高値で売り抜くというスキーム。住宅を安く買うためには多くのデータを検討したり価格の予測をしなければならないんだが、Zillowには高度な不動産売買アルゴリズムがあるそうで、そいつを駆使していい物件を迅速に安く買うことができていた。

ただし、コロナ以前のデータによって構築されていたそのアルゴリズムはコロナによる社会的変化や価値観やライフスタイルの質的変化のなかで有用とはいえなかった。にもかかわらず、経営陣はそのもはや通用しなくなったアルゴリズムを使い続け、高値で住宅を買いまくり、在庫が積み上がってしまった。その事業は投資会社かどこかに売却し、大きな損失を計上するに至った。

この記事では、ここから得られる教訓として、経営陣がそのような本質的に重要な経営課題を解決するために、現場の声をフラットに聴ける体制がなければ厳しいんじゃないということ、そして適切なKPIを設定する(本質的には重要じゃない数値目標ばかり見ていた)ことの重要さを指摘している。

まあ、買わなくてよかったなあという感想なんだけど、ROKUやZOOMとかも一貫して下がってて、2020年に大きく上昇したという理由によって2021年は大きく下落したという物理的現象だったりするのかもしれない。

アメリカ株はどうしても海の向こうで起こっているビジネスなわけで、あまり株価を気にはしない。あるときふと株価を見ると喫驚するほど上がっていたり、下がっていたりする。もちろんそれはふだんあまり株価を見ていないからにほかならないのだが。

去年の12月に、Zillowいいよね、とぼんやり考えていたのは見当外れだったが、その時の自分にはそれはわかるはずもない。いいよね、と思いながら株を買おうかしらという瞬間というのは胸高鳴ることなのだが、そういうのはいつもただの希望であったりする。

株をやっていて、痛感するのは、確実にこうなると思うことはめったにおこらず、まさかこんなことはあるまいと思うことがよく起こるということ。その予測不可能性の中で、せいぜい大損しないように、生き馬の目を抜くマーケットで生き抜くことができれば。

 

湖北工業

湖北工業は、琵琶湖の北にある会社ってことなんだろう。中国企業みたいな社名なのだが。

この企業が一昨日IPOして、翌日はS高、そして今日もS高。それもいい感じにぐいぐい上がり、午後2時ちょうどにS高に到達した。その後若干の下げはありつつS高をキープした。

この銘柄をM氏は上場初日にすこし下がった局面で購入し大きな含み益を得ている。ベテラン投資家である同氏は上場初日の銘柄を買ったのは初めてだとおっしゃっていた。

私は、この銘柄のことを知らなかった。東証二部に上場する製造業で、社名が新しくない。しかし、その業績はトップラインが20%成長でEVの時流に合致する製品を製造している。にもかかわらず、PERは2日連続S高を演じた現在でさえ、20。

IPOの公募価格が不当に高い、というのはすべての銘柄に当てはまるのではなく、逆に不当に安い価格で値決めされてしまうこともあるということ。それは上場先が東証二部に多いような気がする。しかもテーマ的に外れている業種。

いくら年末にIPOする企業が多すぎるからといって、すべての企業の近年の業績を一瞥できない理由にはならない。湖北工業という会社を知らなかったのは、単に君の努力不足。あれだけの億トレでもつねによりよい投資対象はないか探している、一方、君はといえば、マザーズの下落をただ見ているだけで、それがIPO乱発の需給の乱れによるものであり、多すぎるIPOは悪くらいの思いで見ていた。そして時間だけが過ぎた。その間にきちんと偏りのない目を持つ投資家はすでに1000万円の含み益を得ている。

投資チャンスは常にある。気づくか気づかないかだけで。探そうとする意向があるかないかだけで。IPO企業の業績はipokisoで一覧になっていて、それを見るのにかかる時間は知れている。しっかり高い成長率があるかを見て、それが高すぎないかを判断するのにそれほど大きな手間はかかるまい。湖北工業にかんしては、成長率20パーセント(でありかつその成長がしばらく続きそう)なのにPERは10台ということで、割安じゃんということになる。

いくら成長率が極めて高くても、値決めで高値に設定されているのならスルーするだけの話。

あきらめるな。

マザーズ連日下落のなか、新政権の方針を市場や株クラは嫌気しているが、だからといって、嫌気しているだけでは世話はない。そこのところをよーく考えるんだね。いまなにをするべきか、チャンスはどこにあるのか、クーポンがどうとか割引がどうとかなんてのは些事でしかなくて、桁が違う、別のレベルに向かうための行動をとれ。そんなに難しいことじゃない。やる気があるかどうかだ。

「日本最弱」かもしれないが、本当にそう思うなら日本市場から資金を引き上げるべきだし、そうしないのなら、下落相場こそ安く株を買えるチャンスと捉えてさらに努力しよう!

Avoiding stupidity

避けるべき株。これを明確にしないといけない。激動のリアルワールドを生き抜くために。

チャーリー・マンガーは「自分がどこで死ぬかだけ知りたい。そうすればそこに行かないようにする」といった趣旨のことを述べたことがある。それが投資の要諦だなのだった。

避けるべき株というのは、絶望をもたらす会社だ。それは過大な年次計画を掲げ、多くの投資家を呼び込む。投資家は「この成長率(とはいっても短信の1ページめの一番下あたりに掲載されている会社の計画、会社の希望的観測にすぎない)で、PER20って安いんじゃね?」と思いながら「買い」ボタンを押下する。しかし四半期決算の進捗的に通気達成は微妙ななか、株価が毎日一貫してマイルドに下がり続ける。会社は沈黙を守りつづけ、その沈黙故に、含み損を抱える投資家に(とはいえ、最終的には計画どおり着地するよね、するよねきっとお願いだから!)というような虚ろな希望を抱かせる。そして、3Q決算あたりで下方修正を出す。理由はたとえばコロナであったり気候であったり、よりよい製品にするために開発が次期にずれる、であったり色々だが、まあ約束を反故にした。そして当然の帰結として株価は止めの一撃としてストップ安、次の日も続落。

そのような株は絶望の株だといえる。絶望というのは希望の裏返しだ。多くの希望を集めて高くなった株価を正当化できる会社は少ない。人気のある銘柄は絶望と紙一重なのだ。投資家は絶望と無縁の株を保有するべきだし、常に探し続けるべきだ。もちろん、絶望の株というのを持ってしまうことはある。買ったあとに気づく。しかし含み損が大きくて、損失確定を躊躇する。しかし激動の市場では、その企業の内在価値と株価の乖離を目ざとく見つけ、株価が高ければ売られる。だから含み損であろうと、その企業の価値が株価に比べて過大評価されていると了解したのなら、その瞬間に売るべき。そうでないと損失は広がるばかり。それをしないのは、弱さと怠慢以外の何物でもない。

考えてみてほしい。ここからは心理的な問題になるんだが。君の含み損銘柄を損切りして、その後より期待値の高い銘柄を保有する。そしてその銘柄で損するか儲けるか、損もしないし儲けもしない。一方、惰性で弱い銘柄を持ち続けていれば、起こることといえばさらなる下落。その株はあがりません。なぜなら下がってるでしょう。「そのうち上がるでしょ」と思いながら見ている月日は無駄だし、精神的にもよくない。なによりも、損した銘柄で損を取り返さないといけないというルールはない。損した銘柄に遭遇するのは避けられないし、そのまま持っていて買値付近まで戻ったらやれやれ売りをしようと思っている。そんな行動に対して、貴殿は含み損の銘柄以外によりよい銘柄は見つけられないんですか、と問いたい。含み損銘柄を持ち続けているというのは、その銘柄が今市場にある銘柄のなかで最高の銘柄だということになる。そういうことなら持ち続ければいいし、そう思っていないのなら売るべきだ。

したがって、投資家は常に補欠メンバー(ある銘柄を売ったらすぐに買う銘柄候補)を探し続けることが必要であり、それは好奇心がなければできない。好奇心は最大のリスク回避だ。その努力をしないでいると、含み損の銘柄に希望を持ち続け、裏切られる。ゼロベースで仕切り直すということは不可欠だろう。失敗が避けられない、しかも半々の割合で失敗するという激動のリアルワールドにおける重要なマインドセットだ。

絶望の会社というところに戻ると、悪い会社には前兆のようなものがある。たとえばIR資料でグラフに縦軸がなくて、実際の数字がわからない、とか、これが知りたいのにという情報がない、とか、資料自体、決算発表と同時に出さないとか、前回の決算では出していたKPIの一つを今回は業績が悪いからか掲示しないとか。そういうところをよく読まなければいけない。

いや、結局投資は難しい。いくら首相が変わったことで株式市場が変調しても岸田のせいにすることもできない。投資家は他責思考ではいけない。だれかのせいにしてはいけない。

その企業は社会的課題を解決し、永続的に利益をだし、成長できるかをシンプルに、ゼロベースに考えて長期スパンで投資する。これがStupidityを避ける方法なのかもしれない。

 

期待ではなく結果で株価をドライブさせている

ケイアイスター不動産はわいの主力銘柄。昨日出した素晴らしい2Qをうけて今日はS高で終えた。最初は5%ほどの控えめな上昇で寄ったが、10時以降はS高水準で張り付いていた。それでも、現在のPERは7.5であり、配当は3.42%である。普通に今からでも買える水準。

PER水準が切り上がり、たとえば11くらいになるとその時の株価は、2Qと同時に出した上方修正での予想EPSが993円なので、10923円、VS現在の7160円、上昇余地は50%くらいはあると考える。仮にそんなに上がらなくても、配当がすでに3.4%もあるのだから、株価の下値抵抗としてすでに大きな支えになっていると考える。それはたとえば、成長が急に鈍化し売りが売りを呼ぶみたいな状況になったとしても、配当が5パーセントくらいにはひょっとしてなるかもしれないが、それ以上下がることはないだろう、それくらい高配当であればインカム投資家が買い支えてくれる。

株価が下がる可能性よりも、株価が上昇する可能性のほうが高いと考える。期待値的にプラスということ。

成長鈍化の懸念はとりあえず存在しないかのように、株価は階段状に上昇している。決算発表と一緒に上方修正も毎回のように出している。そしてその発表翌日の株価の反応はどうだろう。決算後、急上昇し、次の決算までじりじりと動き、時には下落傾向を見せるが、しかし、次の決算が出て、すばらしい数字を発表したら、やはり買いが殺到する。その繰り返しが下図にあらわれている。これはEPSの上昇を根拠とする上昇であり、PERだけが独り歩きしている状況ではない。投資家はこの企業の未来を完全には楽観できていないが、毎回決算ですごい数字を出すから、やっぱすごいんだ、とばかりに買い、でも次の決算までに弱気になり、という感じなんじゃないか。それを卓越した結果を見せることで、有無をいわせず株価を上げていく、そんな強い企業ということが証明されつつあり、ひょっとしたらPER水準が切り上がり、カチタスのようにPE20くらいまで上がる、なんてこともありえなくはない。少なくともオープンハウスのPE12.6くらいまでいっても何ら奇異な感じはない。

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ケイアイスター不動産

 

 

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株価は上昇基調だが、PERはむしろ下がっている=株価はEPSの急成長を織り込んでいない

このような企業をたとえば今年の2月決算後の急上昇のときに注目し、その時点で大きく株価は上がったから旨味はないとするのではなく(結果は全くことなり、2月の急上昇でいまさら感がありながら買ったとしても11月時点で2倍になっていた)ゼロベースでこの企業はこれから買っても期待値的にプラスを問うこと、それが重要だ。

存在の椅子があるのか

過日、Morihico. でコーヒーを飲んだ。札幌のコーヒーシーンを牽引する(牽引という言葉はヒップホップシーン用語のような感じがするが)、と自ら言うだけあり、さすがにうまい。と本当はそれだけで済ませるし、それ以外付け加えることはなにもないのだが、一応1000字書きたいというのがあるので続ける。

11月なのになぜか天井から冷房が吹いてきているので、外套を脱ぐことはできない。そして床、壁はコンクリートが基調であり、天板は外され配管がむき出しにされた状態になっている。そしてソファは革張りでずしりと沈み込むのは良い感じだったが、テーブルが低すぎた。

奥に数個あるソファ的な椅子以外は、学校の椅子を想起させる、くつろぐという目的とはかけ離れた、ひとむかし前に量産された、椅子というよりは記号のような物体が並んでいた。そして、本棚には『ぼくはお金を使わずに生きることにした』という、晶文社が出してそうなタイトルだが、紀伊國屋書店刊の書籍を始めとする、若干変化球多め(「ビジネス書」は一冊もなかったのはよかった)の本が入っている本棚は高くそびえ、はしごまであった。蔦屋書店のような状態をイメージしてもらってよい。

このように、喫茶店に本が、それも週刊誌や漫画ではなく、それなりの内容がある本が満たされているとき、利用者はどんなことを思うのだろう。そして経営者的には、まちがっても一冊まるまる読んで一日粘ってくれるなと思わないでいるのは不可能だろうが、それは矛盾した感情なのではあるまいか。たとえばさっきの本であったら、モービー・ディックのチャプターごとをイラストで表現した、柴田元幸訳の本、であってもいいのだが、そうした本はコーヒー一杯の時間で読めるはずはない。

だからといってコーヒー一杯分で一般的に許容される滞在時間=1時間でたまたまひらいた1ページのあるセンテンス、ある一行で、それこそ寺山修司がいう地球全体の重さと釣り合う経験をするかもしれない。どんなに短いあいだであっても、読みきれないことがわかっていても、ページを開いてみる、一行でも読んでみる、それこそが、そのような、読書のランダム性に賭けるという行動の積み重ねは、いつ素晴らしい一行にであえるか、それがどんな本、どんな著者から遭遇できるのかは、本を読んでいるという行為の中でしか、可能性としては存在しない。そしてその「賭け」のコストはほぼゼロであり、当たればでかいが、何も得ることがなくても大損することはない。アップサイドは大きく、ダウンサイドは少ない。

ナシームタレブ(NNT)『反脆弱性』のなかでも、とりわけ感動的な「反脆い(バーベル型の)教育――半自伝的教育論」という賞でこんな考察が披露されている。

大事なのは、ひとつの本に飽きても、読むこと自体はやめないということだ。そうすれば、読んだページ数はどの方法よりも速く増えつづける。そして、試行錯誤に基づく理性的ながらも自由気ままな研究と同じように、労せず〝 金〟が見つかるはずだ。これはちょうどオプションと似ている。試行錯誤し、決して立ち止まらず、必要なときは枝分かれする。だが、全体としては自由や 日和見主義の感覚は失わない。試行錯誤は自由そのものなのだ。

(ナシーム・ニコラス・タレブ『反脆弱性』(上)、ダイヤモンド社)

晩秋の札幌は晴れていた。これから来る冬の予感はありながら、Tシャツ姿の人も見かけたほどの小春日和であり、落ち葉舞い散る豊平川河川沿いを眺めながら思う、そのような「労せず〝 金〟が見つかる」かもしれない状況が、おしゃれカフェ読書なのかもしれなかったと。

なので、色々本が飾りのように置かれていて文化的だなあと思うのと同時に、何でもいいからその中から読んで見るのは、別に損をするわけではないし、ひょっとすると大きな発見があるかもしれないわけで、本である限り、たんなる飾りなのではなかった。

ところで、これもまた別の考察を要求するのだが、カフェという空間の本質というのは、椅子を専有する、ある場所を専有するという行為なのかもしれない。いくら平和な世の中であっても、冷徹とした、宙吊りの緊張感というものはどんな社会にもあるだろう。

またこれも別の印象なんだけど、晩秋に木の葉がほとんどん落ちて、枝だけが寒々と風に揺れている姿を見ていると、木が生えているというより、むしろ空気に亀裂が入っている、という見方もできる、というふうに思う。『スケール』という本でフラクタル性の事例をいろいろ見ていたので、その影響があるのかもしれない。

雪が降っているのではなくて、雪の中に地面がゆっくり昇っているのかもしれない、と書いたのは池澤夏樹だった。普通の見方の角度を変えてみる、それもほとんど反射的に、別の見方、別の感じ方はないか探るという欲求が満たされることは稀だが、それでもありきたりに見える世界はそれほどありきたりではないのかもしれないっすよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

恵庭渓谷

恵庭渓谷を通りかかり、白扇の滝の駐車場で停まった。白扇の滝の、マイクロナイアガラ的な、それよりはよほどなめらかな岩塊の上を流れる薄い水が強烈に滝壺に流れ込んでいた。滝の上の方の川床や、断崖全体に白い糸のような模様をつくりながら、たくさんの滝を集めたような音が響いていた。秋の晴れた陽気の中、光を浴びて川の水は透き通っていたり、水の底で滞留している水を青く染めているようだった。こう書くと、水の中に水がある、というような形容はおかしい、という御仁がいらっしゃることであろう。しかし、気流の中に別の気流はあるし、水流の中に別の水流、別のもっとゆるやかな水流、もっと速い水流、もっと冷たい水流、もっと温かい水流というような、別のなにかがあり、単一の全体性というのはない、ということも理解されるところであろう。あらう。

その、白扇の滝の滝壺を、柵に持たれながら眺めていた凝視していた。その後ろに立派な楢ノ木、なのか、木の種類を見分けるのは難しい、が、実に巨大なのに気取っていなかった。気取らない木というのは存在しないのだと思うのだけれど。晩秋の渓谷で、その木、その木々は、ただそこにあった。

何かを写真に収めなくてもいい。見るだけでいい。何かを残す義理はないから。

 

グローブライドを信用で一枚ロングしていた。そして今日の午後2時に決算を出して、上方修正もあったから、別に悪くないんじゃね?というところなのだけれど、その修正幅というのが、コンセンサスより下だったのだろう、ストップ安になっていた。これは例えば、同業、同テーマとしてのアルペンなどの決算を見ていたら、アルペンはアウトドア需要のピークアウトっぽい結果だったことから類推して、本日の決算前に同社の株をショートする、というプレイをする投資家も多かった、そしてのプレイは報われた。何も調べずなんとなくロングし続けていた人は、ふと株価をチェックしたときにストップ安という現実を見、為す術もない。

今回のストップ安の前に、非常に大きな陰線=ダーククラウドカバーというものが現出していたことから、同社の先行きに対する投資家の深刻な心理的変化があった、というかインサイダーが急激な株価上昇局面で売り抜けた、とも考えられる。セオリー的にはそこで、つまり週足で見た時に高値圏で巨大な陰線が出現し、しかもその陰線が前週の陽線を包み込んでいたら特に、売れ、という声をチャートは発していた。ただ、売上成長率がハイティーン、PERが11倍という今の状況は、これ以上下がっても知れている、と思うので引き続きロングです。

魚釣りは生徒の頃熱中していたと思うが、やはり道具はダイワかシマノだった。今は釣りをしなくなって随分経つので釣具の知識は欠落している。ただ、数字をみていいかんじじゃね?と思って購入していたまで。ただ、この成長率がどこでとまるのか、ということを考えた時、わかりっこないよね。ただ、PERが11とか12で売上が二桁成長というのは、なにかその会社に質的な変化が生じた、と考えられるわけで、それは「ライフタイム・スポーツ」という言葉によって、事業内容の再定義を試みていることからして、それこそスノピのような評価を得られる可能性はあるんじゃないか、という期待はまだある。

グローブライドという社名は、この地球 globe を乗りこなそうという感じなんでしょうかね。吉井和哉が「乗りこなせこの惑星」と歌ってましたね。39歳の時に作ったアルバムの中で。