恋は突然始まり、なんとなく終わる。(1月8日)

中山公園改札口で私は、僕は『新華字典』をパラ読みしていた。

7時フラット。
彼女が僕を見つける。
どぎまぎするお互いは上手く会話がかみ合わない。
どぎまぎしていなくてもことばの壁で会話はかみ合わないのだろうが。
だろうけれど。
僕たちは味千らーめんに入る。
会場は熱気に包まれていた。
ギターを歯で弾くもの。
頭髪を赤く染め上げ、舌にシルバーのピアスを装着し、誇らしげなるもの。
かつベースを弾き、かつタバコを喫煙するもの。
甚だしきにいたっては、ドラムセットを破壊するに至るほどの高揚感に包まれているものもあった。
僕はいつもの味千ラーメンを食し、彼女は野菜ラーメンときゅうりを誂えた。
僕たちはあの有名なテーゼ「すいへいりーべぼくのふね、ななまがりしっぷすくらーくか」における形而上学的な命題、つまりこの世界における、世界の森羅万象にたいする名付けの意味、あるいは名付けることの根拠について、語り合った。
形をとどめるものはどこにもない。
ここ以外にはある。
会計を済ませるぼく。

そして外に出、歩く。
地下鉄の路線の下を二人で歩いた。
そしてあるバアの扉を開ける。
ちさい犬が二匹、最大級の熱意を示しつつ駆け寄ってくる。
へきえきするぼくにたいして、彼女はとてもうれしそう、というか、こういうときはこういうリアクションをとるのが礼儀だということを了解しつつ、その状況を楽しんでいる、そういっても良いかもしれなかった。
ぼくたちは部屋の一番奥まったソファに腰かけ、飲み物を決める。
そんなとき、マスタがかたわらに侍っているのにぼくは気付く。
そして女性が飲むビアとそれをアカンパニーさせている立場の男性が飲むビアをチョイスしてくれた。
そのビアの名前は忘れたが、これまで日常的に用してきたサントリーや青島ビアの味とはまるで違い、ぼくはおいしい、と絶叫した。
絶叫はしていない。
絶叫していはしない。
絶叫してはいない。
ぼくたちはお互いに向き合い、しずかにいろいろなことについて話した。

心地よい酔い、静かな空間。船乗りの中国人が話しかけてきたとき、ぼくは、かれに地球の丸みについて話して欲しいと頼み込んだ。
彼は語った。
地球の丸みは船乗りになってみるとよく実感できる。
追いかけても、追いかけられても、それは永遠に続く。
「それ」ってなんのことかね。
とぼくは問う。
「それ」はなかなかある一つのことばで言い尽くすことはできない、とその船乗りは言った。

その後、YYTで音楽を聴いた。
変な日本語で歌うロックバンドが前座で歌った。
「君をみるとなぜかしらない、どーきーどーきしゅりゅー」。
彼女はかれらの中国語も標準ではないという主旨のことを言った。
彼らは韓国人だった。
韓国人が上海のちさいライブハウスで日本語で歌っている。
認識論上の冒険。
あるいは存在理由の強度を試す冒険か。
二組目は大晦日ライブのときにも出てきた絶叫するバンド。
そして、Triple smashが登場した。
かれらの演奏はとてもよかった。
やはり、前の二組とはぜんぜん音が違う。
ギターの人は、前の二組に対しては前座を務めてくれたのはありがとうよ、だけどたいしたことなかったぜ。
という主旨の発言をして、どっと笑いが起こった。
その時ぼくは聴き取れず、あとで彼女に教えてもらったわけなのだが。
なのだけれど。
彼女の肩に触れたかった。
だけど勇気が足りない。
後に、ベッドで一緒のとき、彼女はふと、私の肩に触れて欲しかった、という主旨のことを言った。
僕は、そうなの、と気のない返事をしたっけ。
したものよ。
したものだ。